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知られざるミシンの歴史 part.1

2021.02.22
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明治から少しずつ普及し始め、昭和初期には、
日本中どこの家庭でも目にするようになった足踏みミシン。
今ではかなりコンパクトで、高性能なものに様変わりしました。
そのミシンのルーツを遡ってみましょう。

ミシンの原理が発明されたのは、今から約230年ほど前。1790年に英国の家具製造業者であったトーマス・セントがミシンの構造原理を発明し、特許をとります。ただ、その機械は製品化されることはありませんでした。その後、英国やドイツ、フランスでも独自の開発が行われましたが、一歩先を進んでいたのはアメリカでした。

それまで発明されてきたミシンは、チェーン・ステッチ(単環縫い)で、ほどけやすい欠点がありましたが、1832年、アメリカの発明家ウォルター・ハントが、ロック・ステッチ(本縫い)ができるミシンを開発します。それまでになかった“本縫い”の機能は、後に“近代ミシンのベースとなる発明”と称されるほどでした。ただ、ハントにはそれを実用化する意思がなかったため、特許はとっていません。

それから何人かの開発者たちがさまざまなミシンの機能を考案するも、成功には至りませんでした。そのことを聞きつけ奮起したのが、ボストンで機械工として働いていたエリアス・ハウでした。彼は、2年の歳月をかけてミシンの発明に取り組み、1845年、遂に画期的なミシンが完成します。特に、ボビンケースとボビンの考案、先端に穴のある針を使用する点、布を送る機能などは従来の発想を超え、現代のミシンにも共通する機能を備えているものでした。エリアス・ハウは特許を取得したものの、事業化の道は困難を極めました。出資者を探すためにアメリカを離れてイギリスを転々としている間に、アメリカでは各地でミシンの製造が始まっていました。このことが後の特許紛争につながっていくのです。



 

写真の15型の足踏みミシンは、長年に亘り改良を重ねながら生産されたロングセラーです。明治から大正期にかけて多数日本に輸入されたもので、丈夫な縫い目が得られると、家庭用ミシンとして重宝されました。明治43年には即金で128円(分割160円)、大正10年には3個引き出しテーブルつきが即金で144円(分割180円)という記録が残っているそうです。


 

シンガー社の広告には、莫大な費用が投じられました。ポスター、チラシ、絵葉書、トレードカード、カレンダー、扇子、メジャー等々、あらゆる形をとって世界中に配られたそうです。




『手づくり手帖』Vol.20より

取材・写真協力/株式会社ハッピージャパン

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・ソーイングチーム編集スタッフ

日本ヴォーグ社ソーイング本の編集者たち(20~40代)。

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