手の人 『 金子俊雄さん』 part.01
「義理、人情、痩せ我慢」まずはトライしてみる
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2015年、そしてその翌年と、メンズ服のソーイングの本を相次いで世に出した金子俊雄さん。
長年パタンナーとして先端のアパレル業界に携わってきた型紙のセンスと、それを一般読者向けに引き直したバランス感覚が支持され、版を重ねている。最初は紳士服の仕立て見習いからのスタートだったが、何でもやってみる気持ちと、人との縁を大切にキャリアアップしてきた金子さんの、これまでの航海をたどってみたい。
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人生の分かれ道
「人生には岐路がある、といいますが、僕の場合のひとつめは、高校卒業後の進路でした」と自己分析する金子さん。家庭の事情で進学を断念し、公務員試験に合格していたのだが…。近所に、松屋デパートの紳士服売り場でカッター(※)として勤めている人がいると耳にし、漠然と持っていたテーラーへの憧れが頭をもたげた。ちょっと話を聞かせてもらおうと訪ねると「面白い世界だよ。見学に来れば?」と誘われた。行ってみて「作ったものが目に見える世界だ」ということをすごく感じたのだという。かたや公務員は、自分の成したことが分かりにくいように思われた。「自分は作る人になりたい」という気持ちを固め、松屋へ入社する。
最初はボタンホールの手縫いの練習から。次に仮縫い、合格が出ると本縫いへ。ゴールは礼服で、モーニングやタキシードが縫えれば一人前だ。これを、金子さんは4年という早さでクリア。また、並行して日本洋服専門学校の夜間クラスに入学し、パタンナーの技術も習得した。
パタンナーの役割は、デザイン画を具体的な服にするために必要な、型紙を作ること。金子さんは縫製よりもこの仕事に面白さを感じ、以降はパタンナーの腕でキャリアアップを重ねていく。余談になるが、エミ子夫人は松屋のアトリエで婦人服を担当していた元同僚。今なお、仕事上でも頼もしいパートナーだ。
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最初の転職、そしてまわり道
松屋での仕事はオーソドックスなスーツがほとんどだったので、「せっかくならば、いろいろな服をやってみたい」と、金子さんはハーバードというアパレル会社に移る。時は1970年代。VANが全盛の頃で、ハーバードもアメリカン・カレッジスタイルを打ち出していた。雑誌『メンズクラブ』とつながりが深く、編集部主催の「アメリカ西海岸ツアー」に金子さんも参加。その初日のパーティーで、隣の席になった大阪からのデザイナーと意気投合する。ツアー中はずっと行動を共にし、帰国後もお互いの出張の折には訪ね合う友人となった。
ハーバードには7年いたが、服づくりの方針変更に納得できず辞職。「家庭もあったのに、若かったですね」と、金子さん。失業して家にいたのを見かねた実兄から「店を手伝わないか」と誘いを受けた。鮨屋を営む兄は、すごく親身に仕事を教えてくれた。普通だったらありえない早さで鮨職人の基礎を身に着けて1年半も経った頃、兄が新たな場所で店を出すので今の店を譲ってくれると言う。しかし金子さんは、服づくりへの想いを断ち切れない自分に気がついていた。「やっぱり洋服が好きだから、元の仕事に戻りたいんだ」と打ち明けると、兄は、「まだ先は長いのだし、やりたいことをやればいい」と応援してくれた。
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※カッター 売り場で顧客の採寸をし、服のデザインにその体型を反映して型紙を引く技術者
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金子さんの著書2冊『オールシーズンのメンズ服』、『本格メンズ服』(共に日本ヴォーグ社)。
既製品に見える、格好良く着こなせる服を、家庭でも縫えるように手ほどきした。
きれいに仕上げるコツも随所で語られている。
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著書では、ジャケットの作り方もていねいな解説で掲載されているので、安心して取り組める。
写真はデニムジャケット。
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『本格メンズ服』では、気軽に手づくりできる小さなアイテムも紹介されている。
男性へのプレゼントに活用したい。
「手づくりしやすく、かつ本格的な仕上がりになるように工夫した」というネクタイもおすすめ。
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『手づくり手帖』Vol.13より
撮影/白井由香里
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ライタープロフィール
・ソーイングチーム編集スタッフ
日本ヴォーグ社ソーイング本の編集者たち(20~40代)。