手の人 『 金子俊雄さん』 part.02
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人気ブランドに携わって
再就職先は、コート等を作って卸しをする会社だった。取り引き先のひとつに髙島屋デパートがあり、髙島屋がライセンスを持つ海外ブランドとの打ち合せで、パリやミラノへ出張する機会がたびたびあった。たいてい10日ぐらいの日程なので、間の土日はオフになる。そんな日は現地の美術館をまわったり、街の人の着こなしを眺めたりできたことが、得難い経験として蓄積された。
同じ頃、『メンズクラブ』ツアーの縁で知り合った大阪の友人はアパレルのワールドに就職しており、当時立ち上がった「タケオキクチ」ブランドの担当として東京に転勤となっていた。コレクション発表の前ともなると「パタンナーが足りないから手を貸してくれ」とSOSが出て、ときどき手伝うように。そのうちに「ワールドへ来ないか?」と誘われた金子さんは、再度の転職を決める。
「菊池武夫先生といえば、メンズファッション界のカリスマ。そのチームに加われたのは幸運でした。先生のラフなデザイン画から、サイズ感やシルエットの見当をつけてパターンに起こす。直しがほとんど無いときはうれしかったです」
やがて金子さんは、ワールドがタケオキクチのカジュアルラインとして立ち上げていた「モールラック」というブランドのパターンと品質管理を任される。若者の支持を得て、売り上げはどんどん伸びたのだが、12年程経ったあたりで上から路線変更が命ぜられると、それが凶と出てブランドは終了になってしまった。
「業務改革プロジェクト」なる部署へ異動となった金子さん。会社全体のパタンナーの業務を把握するため、百名ものパタンナーと面接した。
「不本意な異動でしたが、振り返ると部署の垣根を超えた知り会いができたのはすごくよかった。どこにいても学ぶこと、実ることがあるものですね」
とはいえ、このプロジェクトの効果に疑問を感じていた折、希望退職者の募集があった。退職金は上積みされ、起業支援もしてくれるという好条件。「独立のチャンス!」と手を挙げ、そして2001年9月、有限会社セリオが船出をする。
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1981年のパリ出張時、ピエール・カルダン氏との記念撮影。(★)
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会社のクリスマスパーティーにて、菊池武夫氏(右端)と。1990年。(★)
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「キクチタケオ」コレクション(新作発表)の招待状。毎回、趣向を凝らしたものが作られた。
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「デザイナーが思うイメージを捕らえて立体化、具現化していくところに、パタンナーの仕事の面白さがある」と金子さん。ジャケットやコートなどの重衣料は、特に得意のジャンル。
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「モールラック」の店頭配布カタログ。アウトドアテイストを取り入れて人気を博したブランドで、顧客と一緒に行くキャンプなどの企画も盛り上がったそう。
★印の写真は金子さん提供
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『手づくり手帖』Vol.13より
撮影/白井由香里
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ライタープロフィール
・ソーイングチーム編集スタッフ
日本ヴォーグ社ソーイング本の編集者たち(20~40代)。