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若山雅子さん

若山雅子さん

【プロフィール】高校時代から独学でキルトを始める。短大卒業後、五年間会社勤めを経験。結婚退職し、夫の転勤で2年間札幌で過ごす。この間に大滝学園で1年間キルトを習い、猛烈に制作する。帰京してからパッチワーク通信社のインストラクターコースを1年間受講。1987年ショップ&工房「クリブキルト」を設立。2002年ドイツのキルトショーに日本人で初めて講師として招かれる。


ファーストキルト。1982年制作 180×170cm

その当時、アメリカンコットンがあまり出回っていなく、コットンプリントで作ったというダブルウェディングリングのキルト。今でも家族で使われ続けているキルトは、鮮やかだった赤が時を経て優しい色合いに変化した。


キルトを習うため、子どもをおぶって往復4時間

若山さんのキルト歴は、高校時代に始まる。当時雑誌「私の部屋」が出たばかりの頃で、若い女性が手作りのインテリア小物で、生活を楽しむという新風が巻き起こっていた。同時期に出た松浦香苗さんのパッチワークキルトの本は、若山さんにとっては、バイブルだった。こうして雑誌を参考に、自己流のキルトを作っては楽しんでいた。短大卒業後、五年間会社勤務した。そこでご主人にめぐり合い、結婚退社。「主人の転勤で札幌に移ったのですが、誰も知る人のいない土地での社宅生活で、寒い雪の中を出歩くこともできません。寂しさを紛らわせるためもあって、この二年間にモーレツにキルトを作りまくりました」今はお店もなくなったが、札幌のもあさんによく布を買いに行った。社宅で知り合った人に、「赤ちゃんを背負ってでも、キルトは習えるわよ」と言われ、そごうデパートの中の大滝学園に通い始めた。

「二時間の授業を受けるのに、往復四時間、長女をおぶって通いました。子どもが歩けないうちはおぶっていられたからまだよかったのですが、歩き始めてからが大変でした。そんな思いをしてでも、とにかく習いたかったんですね」この大滝学園での一年間に、キルトの基礎を学んだ。家では、寸暇をおしむように針を動かしていたので、社宅の奥さんたちには「キルトの若山さん」で通っていたそうだ。札幌の二年間を終えて帰京したあとは、若山さんの両親の住む現在の家で、同居生活を始めた。

子どもを通して、近所の若いママたちと交友ができたが、遊びにくると家中にあるキルト作品が目に入る。そこで「私たちにも教えてくれない?」となり、自宅で数人に教え始めた。それから一年後、店舗として人に貸していた自宅の一階部分が空いたのを機に、パッチワークショップ&工房「クリブキルト」を開くことにした。「始めはケーキ屋さんはどうかしらとか、そんなことを思っていたくらいですから、家賃はいらないしという気楽な考えで、まあ不純な動機ですよね(笑)。それで生徒五人から始めた教室も、現在百人に近くまでなってしまいました」と言う。「クリブキルト」という名前は子ども用キルトのことだが、長女の誕生に作ったベビーキルトに思い入れが深かったので、迷いなくこの名前を選んだ。


ありがとうアメリカ 1996年制作 170×140cm

若山さんがキルトと出会い、そしてとりことなり、そのキルトを伝えてくれたアメリカに感謝を込めて作ったという。歴史の流れの中で幾度となく姿を変えていった星条旗を通して、伝統的な手作りの優しさを表現した。思い出に残る初めての星条旗キルトだ。


第10回若山雅子クリブキルト作品展。若山雅子さんを囲んで嬉しい表情のクリブキルトの皆さん。


─本文より一部抜粋─ キルトジャパン2003年9月号より


キルトジャパン編集部

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・キルトジャパン編集部

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