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鷲沢玲子さん

鷲沢玲子さん

【プロフィール】東京都生まれ。1980年東京国立市に「キルトおぶはーと」を主宰。1987年代官山ヒルサイドテラスにて「キルトフェスタ」開催し、図録「キルトフェスタ」を出版。1992年「鷲沢玲子のパッチワークキルト入門」出版(日本ヴォーグ社刊)。その他著書多数。


仲間なしには語れない私のキルト

鷲沢さんは、自分のキルトワークは、生徒たちのことに触れないでは語れないと、何度も繰り返した。取材の日は、月に1回のデザイナーズクラスの教室がある日だった。13,4人のメンバーは生徒とは言っても、鷲沢さんのところに20年くらいは通っていて、自身も30~100人の生徒を持っているベテランばかりだ。

この日は、キルト展に出品するための、それぞれ大詰めを迎えた作品を持ち寄っていた。一人ひとりの大作キルトがボードにかけられるたびに、「素敵ね!」と感嘆の声が上がる。

しかし、最後に鷲沢さんの作品が掛けられると、生徒たちの感動が発せられるまでに一瞬の空白があった。鷲沢さんがよく言う「昨日よりも良い作品を作ることが、生徒たちに対する恩返し」という言葉を裏切らない、清新でどこか凛としたキルトが今回も目の前にあった。「ここにいる人たちは、子育ての頃から知り合って、その子どもの結婚、孫の誕生、夫の定年と人生の節目をキルトと共に過ごしてきた仲間なのです。キルトが一朝一夕にはできないように、この仲間も時間をかけて培ってきた信頼関係で結ばれています。私にとっては、かけがえのない仲間ですね」と鷲沢さんは語る。

 

鷲沢さんは、大学卒業後すぐに結婚してから2年ほどで今のお教室がある国立に引っ越した。それを機に大好きな手芸に没頭し、パッチワークと出会う。その頃は日本のパッチワークの創成期ともいうべき時期で、洋書を訳しながらの独学だったとはいえ、横のつながりもでき始め、講師ばかりのパッチワークの研究会で野原三輝さんに言われた言葉は今でも忘れられない。「僕たち、初めからパッチワークに関わってきているんだから、これを広めていく義務があるよね」「三輝さんにそう言われて、ああそうだ、楽しい世界を広めようと思いました。その後ずっと、このことを見失わないようにやってきたような気がしますね」その後鷲沢さんの「キルトおぶはーと」の第1回作品展麻布美術工芸館で開いたとき、三輝さんがそれを見て「いい指導をしているね。作品に表れているよ」と言われた。どんなほめ言葉より嬉しかったと言う。


『ピンウィール』2000年制作 170×196cm

“小さな布を、日常の必要な大きさまで縫い合わせる”という基本ポリシーは当初から一直線上にあり、変わっていない。たった4枚のピースからなるオリジナルデザインの繰り返しは、配色やキルティング、トラプントと一体となって、すべてが消化された透明感を放つ。


自分に関わった人が、関わって良かったと、思ってくれる。自分のできることでそうなるのなら、トライしてみようと思う。そんな鷲沢さんの気持ちが伝わる、デザイナーズクラスの授業風景。


『ダイヤモンドウェディングリング』1999年制作 203×138cm

一般のウェディングリングより分割をシンプルにして、たった4枚のピースのパターンにデザイン。中央のトラプントのは朱赤の毛糸を入れて、セピアのレースの上に置いたばらの花束を表現。“よりシンプルで、個性的な美しさを持つ”の基本的な考え方が明快なキルト。


『生命の木』1996年制作 150×200cm

グスタフ・クリムトが描いた生命の木の絵画を中央のキルトデザインにアレンジしたタペストリー。地球上の生物の原点だと言い伝えられている生命の木の部分には、みどり色の詰め物をし、絹にかすかなみどり色の光と香りを与えて、生命の爽やかさや力強さを表現。絹の和布のタペストリーは、鷲沢さんの母校にかけられて、生徒たちに命の賛歌のエールを送っている。


 

本文より一部抜粋─ キルトジャパン2000年5月号より

キルトジャパン編集部

ライタープロフィール

・キルトジャパン編集部

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